みんな大好き!忠臣蔵
こんにちは!
いつも見てくださる皆さま、そして初めてお越しいただいた皆さま、ありがとうございます。
12月といえばクリスマス、クリスマスが終わって世間はもう一気にお正月ムードとなっていますが、お正月を迎える前に、今日は12月ならではの"忠臣蔵"のお話をしたいと思います!
私にとって12月24日、25日よりも胸がキュッとなる日、それは12月14日です(笑)
この日はなんの日かと言うと、ずばり忠臣蔵"討ち入り"の日。
敵を討って首を取ってくるのですが、どういうわけで討ち入りをするのかということについては記事の後半で簡単にお話しします。
さて、「忠臣蔵」という言葉、実はこれは後から付けられて広く呼ばれるようになった、いわば愛称なのです。
その愛称はどこから来ているかというと、文楽の傑作中の傑作、
『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)
歴史上実際にあった出来事「赤穂事件」を題材にして書き上げられたこの作品、竹本座初演時から大評判で、なんと5ヶ月ものロングラン上演が行われたという記録が残っています。
その年のうちに歌舞伎の作品としても上演され、大阪だけでなく江戸へ、京都へと、各地で上演されてさらなる評判を呼ぶ大人気作品に。
そんな『仮名手本忠臣蔵』人気、江戸時代にいくつものスピンオフ作品のようなものが生み出されただけでなく、時代を超えてドラマや映画になって、いまの私たちにも愛されるよく知られたお話となっています。
いつしか12月14日の赤穂事件そのものが「忠臣蔵」という愛称で呼ばれるようになったのには、そんな背景があるのです!
では、赤穂事件は具体的にどんな事件だったのか?というお話にうつりましょう。
・吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)
・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)
発端はこの2人のお殿様。
この2人は相性が良くなかったのか、諍いの中で我慢の限界を越えた浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけてしまう、というハプニングが起こります。
それも状況が最悪なことに、ハプニングが起きたのは刃傷沙汰厳禁の江戸城の中。
"喧嘩両成敗"が原則の世の中、本来であれば2人ともに厳しい罰が下るところが、吉良上野介にはお咎めなし、浅野内匠頭には「切腹せよ」との命令が。
殿様が切腹をする=お家の取り潰しですから、主君なき家臣たちは多くが浪人となるわけです。
亡き主君の遺恨を受け継いだ赤穂藩の浪士たちが、綿密に計画を立てた上で吉良邸に忍び込み敵討ちを果たす、というのが赤穂事件のざっくりとしたあらましです。
討ち入りのリーダーは、浅野家筆頭家老の
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)
名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
さてここで、みなさまにとても良いお知らせがあります。
実は今日12月30日21時から、NHKで忠臣蔵の特番が放送されます!!
面白そうですよね〜!!
私はもちろん観ます(笑)
文楽の『仮名手本忠臣蔵』がなぜそこまで日本人を熱狂させたのか、またどんな魅力があるのかについては、次回以降わたしなりに書いてみようと思っています。
そちらもお楽しみに!
大好きな大好きな忠臣蔵。
話し始めるとつい熱くなって長くなってしまうのですが、ここまでお読みいただきありがとうございました(笑)
では、みなさまのまたのお越しをお待ちしております!
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